横から見た建築・都市
   
 
 
未来の建築
 
 
 
未来の建築
 
  □未来の建築家像  
  未来のクライアント像  
  未来の職人像  
  □現状分析から  
  □□□□−建築家のウソ  
  自然な建築を目指して  
  □目に見えないものを  
  □□□デザインするということ  
  □Kuwata Satoru exhibition  
  □□□□□-in peace-から  
  □見えないもののデザイン  
  □□□−ストーリーの構築  
  □映画鑑賞から 「ドッグビル」  
  □映画鑑賞から 「エレニの旅」  
  □映画鑑賞から 「レイ」   
     
 
  □未来の建築家像  
 
2004.07
 
 

建築や建築家が一般雑誌に取り上げられることが頻繁になってきた延長上には、どのような変化が起こるのであろうかというのは皆が思っていることであろう。

この現象は、建築が技術であったのが、アートとなりブランドとなった経緯に沿うものであろうが、一方でこの流れを終焉に導くもののように思われる。
さながら建築家カタログ・建築カタログとなった一般誌を見る読者は、建築家ではなく自らを中心に置き、どの建築家に依頼するかではなく、どの建築家と家を作るかという形に重心を移しているに違いない。

マスターコンダクターとしての建築家ではなく、コラボレーションの組み手としての建築家である。
このようなユーザーの延長上には、丹下、村野、黒川のような巨匠スタイルの建築家像は生まれる土壌はなく、問題意識の裏返しとしての革命建築家、伊東、山本、妹島、西沢といった建築家像さえも、カタログの中では区別が難しくなりそうである。
旦那と大工から権利を剥奪して絶対者となった建築家は、再び旦那の良き相談者となり下がるかもしれない。

一方、様々なクレームに対して、クライアントと施工者の陰に隠れて難を逃れていた建築家も、社会的認知と共に、個人的利害のクレームばかりか、社会資産としての建築という面からも激しく攻撃される存在になってくるであろう。 社会的に認知された建築家という存在は、より自由に創造的世界に入り込む状況に見えながら、その実、実体は、その社会的権利を自ら放棄し、個人的な物づくりにいそしむ保守的な建築家像に逃避するのではないか。

このことは、一般誌の台頭による建築専門誌の地位下落と無縁ではない。
カタログと専門誌が同じ書棚に並んだことで、専門誌がもっていた建築の流れをつくるオピニオンリーダー的な地位は失われるに違いない。 インターネットの登場もそれに拍車をかける。
小さな建築家達が向かう道は、理解者ではなくて、発起人であるところの依頼者に恵まれて、より特殊化したマニアックな世界を築いていくことに力が注がれる。

情報のグローバル化と、それに伴う情報の受け手のタコツボ化現象は建築世界でも例外ではなく、例えは悪いが、テロリストの如く小さな世界から世界に向けて発信する、幻想を追う建築家の大集団が生まれるのではないか。  多種多様、無方向性、没社会性、タコツボ建築家の大量発生。

このような未来の建築家像の到来を見据えた上で、少なくとも私達は、その次に来るべき建築家像を描かなければならないであろう。

革新的であるけれども、社会に影響が少ない世界から、革新的でないかもしれないが、大きく社会に影響する建築像。
それは物理的なものや空間ではなく、お互いの関係やシステムのようなものかもしれない。

 

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