帰りの飛行機の中で所員がプリントしてくれていた二川・妹島・隈・伊東の会話の中身を反芻してみた。
ブランドの建築を都市の中に建てる。 もしそのブランドが去ったら、その建築の存在は何なのかという命題をめぐっての議論である。
土地の価格と建築の価格の比較から、建築はすでに都市の中のインフィルで、デパートの中のブランドショップと同じように建て替えられるサイクルにあるものではないかという会話がされていた。
話はそこで終わっていたのだが、現実にそうであるかどうかとは別に、本当にそれで良いのかどうかはもっと突っ込んで話さなければならないことではないだろうか。
建築は都市のインフィルかインフラか、私は後者の立場をとりたいと思うのだが、この話題そのものは建築という概念の捉え方、建築家のあるべき姿勢に対する認識のズレが生んでいるのではないか。
家具を手に入れるような気分で個性的な住宅を購入する若い世代のユーザーと、それに対応する建築家の姿にも話題はダブっているように思う。
最後に見学した建築?は横浜フェリーターミナルであった。
日本の将来を勘違いして作られたに違いないこの巨大な建造物では、奇妙なイベントが展開されていたが、全体として閑散とした状況であった。
歩き疲れた足では、先端にたどりつくだけでも大変な距離である。
QUICOが都市に逃げ込んだ建築とするなら、このターミナルは建築を土木に還元したといえそうである。
閑散とした風景ではあったが、もしこの施設が建築家の作る建築として出来ていたとしたら、まさに廃墟に近い風景になっていたに違いない。
今回の旅では、都市に関わることの重要さ・その関わり方について、わずかなヒントを得たように思う。
一方で、都市を読み取る概念やヴォキャブラリーが如何に貧困かも思い知らされた旅でもあった。
建築見学ツァー ・・・ 1 2 3
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