農村は生産の場である。 一方、都市は消費の場である。
・・・・・このことが構造の違いを生んでいる。
農道はデコボコ道である。 つまずいて転んでも転んだ方が悪い。 人が道に合わせなければならない。
一方、都市の道はフラットである。 つまずいて転べば、自分以外の誰かが原因である。 道が人や車に合わせて作られるべきなのである。
農村で問題が生じると、問題は科学的に実証される。
長雨が問題であったのか、干ばつが原因であったのか、原因は確認できるところに所存し、科学がこれを証す。
自然を責めても仕方なく、誰かが悪いのではなく、自分を責める他ない。
一方、都市に問題が起きた時、その原因は掴みにくい。
都市は消費の社会であるが、電気を消費しても原子力発電所を日頃体験している訳ではない。
電気だけでなく水もそうだし、食べ物も、殆んど全てがそうである。
その時、原因の科学的解明は一挙にリアリティを失い、原因は「〜らしい」といった程度のことになってしまう。
要するに都市の消費者は「無知」を強いられているのである。
無知ゆえに責任は他者に向けることに平気でいられる。
「無知」と「消費者の権利」が生むものは消費者エゴであり欲求不満である。
テレビ番組「あるある大辞典」にみられた事実、科学のねつ造だけでなく、大手家電さえも堂々と定義も効果も不明な「マイナスイオン」なるもので消費者の欲求をあおる非科学的消費社会をつくっている始末である。
非科学、エゴ、欲求不満、情報化はこれに拍車をかけている。
都市の構造が生む欲求不満のストレスを解消するには、まずわれわれが問題の根源に対して「無知」であることを自覚し、問題を客観的に理解することから始めなければならない。
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