■ 課題 5     『跡地利用を考える』
 
□   >市民球場跡地を市民求場にする提案

 ガード下飲食店       レンゾ・ピアノ・オフィス      セントラルパーク



球場外は閑散としていても、一度球場に入るとそこは昼のように明るく、何万の人々の歓声が響く。新市民球場は、これまでと関係が逆転する。外側はパチンコパーラーや焼き鳥屋など飲食店に人々が溢れている。中に入ると、そこは緑の静かな空間。エコロジー都市の理想の姿が提案されている。球場の形態だからこそ可能になった=聖と俗を併せ持った施設が生まれた。これこそ市民の求める「場」市民求場である。


 
□  旧市民球場を大事にする

鞆の街、御手洗の街を歩いた。

神社仏閣であれば残りやすいだろうが、街そのものが残るのは、相当色々な条件が重なり合わなければありえないだろう。

文化や歴史は博物館ではなく、都市にこそ残されるべきであると実感した。


その意味で、広島市民球場は残されるべきものだと考える。

「モッタイナイ」という言葉が、エコの観点から再認識されているが、その言葉本来の意味から少しズレて使われているのではないか。

経済的な意味合いを含んでいるのが、それである。

市民球場を壊すのはモッタイナイというと、土地単価・土地利用の観点から数字をはじいた場合、どちらがモッタイナイということになるのかという議論になってしまう。

野坂昭如のエッセイの中で、食物を粗末にする行為に向けて「モッタイナイ」ではなく「バチ当り」という言葉に出会った。

経済ではなく、道徳・倫理の意味を含んだ言葉のように思う。

バチ当たりは、大事にしないことに対する天罰ということであろう。


そこで提案である。

「大事にする」という言葉で、色々なことに対応してみてはどうだろうか。

経済、道徳のにおいがなくて使いやすい。

市民球場を大事にする。その歴史を大事にし、周辺環境を大事にして、跡地計画を考えてみたら、どういう案が考えられるのだろうか。

今回の「市民求場」は、エコをテーマにした場合の提案である。

今の時代の精神をすり込むこと、これも文化・歴史を語る都市のインフラとしてOKなのではないか。

 

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